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木更津駅前校 日常的実践における帰納と演繹

こんにちは。

木更津駅前校 加藤です。

 

我が家には2歳半の娘がいます。イヤイヤ期が始まり、言うことを聞かなくなってきました。「僕の子がそんなに素直なはずがない」と自分に言い聞かせていますが、先が思いやられます。

 

さて、その娘が最近ひらがなを覚え始めました。

親が本を読んでいるのを不思議そうに見ていたので五十音表を壁に貼り、読み方を教えようとしましたが、すぐに飽きて嫌がります。

 

まだ早いのかな、と放っておいたところ、自分で幼児用の図鑑を持ってきて、書いてあるひらがなを一文字ずつ指差し、「ね」「こ」と読み始めました。

犬は「いめ」と読み間違えました。「め」と「ぬ」の区別がついていません。濁点の仕組みもよくわかっていないので「ぞう」とか「だんご」は「そう」「たんこ」と読みます。

横に写真があるので直すのは簡単です。写真を指差して「これ何だっけ?」と聞くと「だんご!」と濁音で発音します。

 

個々の事象から一般的な法則や命題を導き出すことを「帰納」と言います。

「ぞう」「だんご」など、具体的なものの名前を言ってみて、ひらがなを確かめます。

そのうち、「横に点々が付いていると音を濁らせるのだ」という法則に気付きます。

 

逆に、一般的・普遍的な前提から、より個別的、特殊的な結論を得ることを「演繹」といいます。

五十音表で発音を覚えてしまった後で、写真の横に書いてあるひらがなを読む、というような流れです。

 

娘の感覚で言うと、「演繹」はつまらなかったんだと思います。

無機質な表を覚えるより、このお魚とか毛むくじゃらの名前を言ってみたいよ、ということなのかな、と。

 

それで、ここからルーキーパパではなく塾講師っぽい話でまとめようと思います。

英語や国語の勉強にも同じことが言える気がします。

「こういう問題はこうやって解く!」というような法則を頭に叩き込み、その法則にあてはめて個々の問題を解く(演繹)よりも、個々の問題を解きながら、「ああ、ここに書いてあるのか」とか「え、それって言い換えちゃうの?」とか思いながら、自分なりの法則に辿り着く(帰納)方が分かりやすく、自分の頭に刻み込まれている分本番でも役立つのではないかと思います。

同じ問題を繰り返し解くことで初見の問題の正答率が上げられるのは、自分なりの法則をうち立てるには解法を考えるプロセスこそが重要だからだと思います。

 

もちろん、今まで頑張って覚えてきた法則が全て無駄だと言っているのではありません。今後文章を読み解くうえで大切な武器になるでしょう。僕が言いたいのは、高校・大学受験を控えた3年生の皆さんには知識や法則を頭に詰め込むだけでなく、問題演習を重ねて、自分の頭で考えることもして欲しい、ということです。

 

受験本番までもう一息、一緒に頑張りましょう。